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京都地方裁判所 平成元年(ワ)154号 判決 1991年4月12日

原告

尾崎孝生

右訴訟代理人弁護士

高田良爾

右同

籠橋隆明

右同

浅野則明

被告

右代表者法務大臣

左藤恵

右指定代理人

小久保孝雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

1  被告は原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する平成元年二月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び第一項に限り仮執行宣言。

二  被告

主文同旨の判決。

第二  当事者の主張

一  原告(請求原因)

(一)  原告の地位

原告は、京都市左京区静市市原町七一九―二六で左官業を営んでいる者であるが、昭和五九年ないし同六二年分の所得税の確定申告をいずれも法定申告期間内に行った。

(二)  原告の妻の地位

訴外尾崎志げ子(以下「志げ子」という)は、昭和四四年に原告と婚姻し、以後家庭の主婦として、専ら家事、育児に専念してきた。

(三)  訴外杉浦啓一(以下「杉浦」という)は、被告の行政機関である左京税務署に勤務する国税調査官である。

(四)  調査の経緯

(1) 杉浦は、昭和六三年八月二六日午前一〇時ころ、原告方に税務調査のため臨店した。しかし、原告は不在であり、志げ子が、杉浦と応対した。志げ子は、杉浦から居宅への立ち入りの申し込みを受け、やむなく、一階の一〇畳間に案内した。杉浦は、志げ子に対し、昭和六〇年分ないし同六二年分の仕入れの領収書、昭和六三年分の売上請求書を見せるよう求めたので、志げ子は、やむなくその求めに応じた。

(2) 杉浦が、志げ子に対し「ちょっと御主人の机をみせて欲しい」といったところ、志げ子は、「今日は主人は仕事で留守です。私は帳簿のことは分かりません。今日でなかったら駄目ですか。」と返答をした。ところが、杉浦は「今日でなかったら駄目だ。」と語気を荒立てていったので、志げ子は原告の机のある部屋に案内した。

(3) 杉浦は、原告の机のある部屋に入るなり、志げ子の同意を得ることなく、机の四つの引出しすべてを開け、引出しの中の物をすべてひっくり返し、書類等をすべて手に持って検査を行った。さらに、杉浦は、机の下においてあった体育振興会関係の書類等も手に持って検査を行った。

その後、杉浦は、収支一覧表記載の「帳簿一冊」(以下「売上帳」という)と賃貸建物の水道光熱費に関する領収書を貼付した「帳簿一冊」(以下帳簿二冊を併せて「本件各帳簿」という)を手に取り、一方的に「持って帰らしてもらいます」と告知し、志げ子の同意の意思の有無を確認することもなく原告や志げ子に無断で持ち帰った。その際、杉浦は一方的に「預かり証」を作成し、原告方に置いていった。

(五)  質問検査権行使の違法性

(1) 所得税法二三四条一項一号に規定する税務職員の質問検査権行使の対象者は、納税義務者本人のみでなく、その業務に従事する家族も含まれる。ところで、志げ子は、原告の事業に関しては、電話番程度のことしかしておらず原告の事業に従事している者とは到底いえないので、質問検査権行使の対象者とはならない。そして、杉浦は、原告宅に臨場した際、志げ子が電話番程度のことしかしていないことが判明したのであるから、それ以後志げ子への質問検査権の行使を中止すべきであった。したがって、杉浦が志げ子が質問検査権行使の対象者とならないことを認識した後における杉浦の質問検査権行使は違法である。

(2) 所得税法二三四条一項に基づく質問検査権は、被調査者の同意を要する任意調査である。杉浦が、原告及び志げ子の同意を得ることなく、質問検査権を行使し、本件各帳簿を含め、机の四つの引出しを開け引出しの中に入っている物件すべてを検査し、さらに机の下に置いてあった書類の検査を行ったこと及び無断で本件各帳簿を左京税務署に持ち帰ったことは、質問検査権の正当な範囲を越え、違法である。

(六)  責任原因

杉浦は、志げ子の同意を得ることなく、違法に本件各帳簿を検査し署に持ち帰ったものであって、杉浦は、被告の公権力の行使に当たる公務員である国税調査官として、その職務を行うについて故意又は過失があったから、国家賠償法一条一項に従い、本件違法調査により原告の受けた損害を賠償する義務がある。

(七)  損害

原告は本件違法行為により精神的苦痛を受け、これに対する慰藉料の額は、少なくとも一〇〇万円をくだらない。

(八)  よって、原告は、被告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成元年二月九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被告(請求原因に対する認否・主張)

1  請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)、同(三)の事実をいずれも認める。

(二) 同(二)の事実のうち、志げ子が原告と婚姻したことを認め、その余を争う。

(三) 同(四)(1)の事実のうち、杉浦が八月二六日午前一〇時ころ税務調査のため原告方を訪れ、志げ子と応対したこと及び志げ子から昭和六〇年分ないし同六二年分の仕入れの領収書、昭和六三年分の売上請求書の提示を受けたことを認め、その余を争う。

(四) 同(四)(2)の事実のうち、杉浦が志げ子に対し、「ちょっと御主人の机をみせて欲しい」といったこと及び原告の机のある部屋に案内されたことを認め、その余は争う。

(五) 同(四)(3)の事実のうち、杉浦が机の四つの引出しの中及び机の下の検査を行ったこと、本件各帳簿の預かり証を作成交付し、本件各帳簿を左京税務署に持ち帰ったことを認め、その余を争う。

(六) 同(五)、(六)、(七)、(八)を争う。

2  被告の主張

(一) 左京税務署長は、原告提出に係る昭和六〇年ないし同六二年分(以下「本件調査年分」という)の白色の確定申告書に記載された所得金額が適正なものであるかを確認するため、杉浦に原告の所得税調査をさせた。

(二) 杉浦は、原告の机及びその周辺の検査を実施する前に、あらかじめ志げ子の承諾を得ており、さらに、杉浦が見つけた本件各帳簿を検査し、署に持ち帰るに際しても、志げ子の承諾を得ていた。

したがって、杉浦の行為は正当な税務調査の範囲内の行為であり、何ら違法はない。

(三) 質問検査権行使の対象者について

税務調査は、所得税法二三四条一項一号に基づき行われるものであるが、同号に規定する税務職員の質問検査権行使の相手方は、納税義務者本人のみでなく、その業務に従事する家族、事業専従者、使用人、従業員も含まれる。志げ子は、原告の業務に実質的に関与しており、質問検査権行使の対象者に該当する。したがって、原告の志げ子が質問検査権行使の対象者とならないことを認識した後における杉浦の質問検査権の行使は違法であるという主張には理由がない。

三  原告(被告の主張に対する認否)

(一)  被告の主張(一)の事実は知らない。

(二)  同(二)を争う。

(三)  同(三)を争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因(一)、同(三)の事実は当事者間に争いがない。

二調査の経緯の検討

1  請求原因(四)のうち、杉浦が昭和六三年八月二六日午前一〇時ころ税務調査のため原告方を訪れ、志げ子と応対し、志げ子から昭和六〇年分ないし同六二年分の仕入れの領収書、昭和六三年分の売上請求書の提示を受けたこと、杉浦が志げ子に対し、「ちょっと御主人の机をみせて欲しい」と依頼し原告の机のある部屋に案内されたこと、杉浦が机の引出しの中及び机の下の検査を行ったこと、杉浦が本件各帳簿の預かり証を作成交付し、左京税務署に持ち帰ったことは当事者間に争いがない。

2  右争いがない事実と<証拠>、弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、これに反する<証拠>は、全掲各証拠及び弁論の全趣旨に照らし、遽に措信できず、他にこれを覆すに足る証拠がない。

(一)  杉浦は、昭和六三年八月一九日、原告方に架電し、志げ子に「八月二六日に所得税の調査にお伺いしたい。御主人が都合でおられないような場合には前もって連絡して下さい。」と連絡した。

(二)  ところが、原告は、同月二五日杉浦に対し、「調査予定当日は都合が悪い。」と電話連絡した。そこで、杉浦は「八月二九日、三〇日以外であれば空いておりますので、また、都合のよい日を連絡して下さい。」と伝えた。杉浦が、この趣旨を長尾統括官に復命したところ、同統括官から「後日の臨場日の約束ができていないし、工事業者の場合、調査日がいつになるかわからない。とりあえず奥さんの分かる範囲で聞かせてもらい、分からないことは後日本人から聞くように、早く接触するように。」と指示された。

そこで、杉浦は、原告方に架電し志げ子に「先程御主人から調査日を変更して欲しい旨連絡が入りましたが、こちらの方としましても早く調査に着手したいので、予定どおり八月二六日午前一〇時にお伺いしたい、奥さんの分かる範囲で答えてもらったら結構です。何か所得金額のわかる帳簿類がありましたら出しておいてください。このことを御主人に伝えてください。」と述べたところ、志げ子は「わかりました。」と答えた。

(三)  杉浦は、同月二六日午前九時五〇分ころ、原告方を訪れ、志げ子の案内で奥の一〇畳間に上がった。杉浦は、志げ子に原告の仕事の内容等を聞いたのち、電話で頼んでいたものを出してくれるように頼んだ。志げ子は、「これを見てもらえばわかりますというてました。」と言って、原告から預かっていたビニール袋を杉浦に渡した。

(四)  杉浦はビニール袋の中に入っていた伝票類を約三〇分間にわたって調査集計後、志げ子に対し「これだけではようわかりませんし、もっとほかの書類ありませんか。」と尋ねたが、志げ子は、「わかりません。」と返答した。そのため、杉浦は、志げ子に対し、「控えのようなものがないか捜してください。」と頼んだところ、志げ子は、原告の机のある部屋に捜しに行った。そして、志げ子は、わからなかった旨杉浦に伝えた。

杉浦は、志げ子に対し「ちょっと机を見せてください。」と頼んだところ、志げ子は、「主人が留守ですし今日でなかったらあかんのですか。」と聞いたので、杉浦は、それまでと異なり、大きな声で、強い調子で、「今日でなかったらあきまへんな。」と答えた。そのため、志げ子は、杉浦を原告の机のある場所に案内した。

(五)  杉浦は、部屋に案内されて、志げ子から「ここの机です。」と言われると、すぐに机の方にすすみ、机の上にあった封筒から書類を出して見始めた。次に杉浦は、机の引出しを順次に引き出して中のものを確認した。志げ子は、杉浦が、原告の机の上と、一番上の引出しの中を検査していた時は、立ち会っていたが、その後、台所の方へ行ったりしていた。そして、杉浦は原告の机の下の棚から本件各帳簿を発見した。

(六)  その後杉浦は、志げ子と共に一〇畳間に戻り「これ預かって帰ります。」といって預かり証を作成し、右預かり証を居間の机の真中付近においた。これに対し、志げ子は、持って帰られてもしょうがないと思い、何らの異議を述べなかった。その後も、杉浦は本件各帳簿を見ていたが、この間、志げ子は杉浦の前に座って黙って見ていた。杉浦は、原告が税務署に提出している申告書に添付された収支内訳書と売上帳を志げ子に示し「こことここが違いますね。漏れてますね。」と尋ねたところ、志げ子は、「数字が違いますね。」と答えた。

杉浦は、署に電話してから志げ子に「こことここの数字が違うし、漏れているし、確認書を書いて下さい。」と言った。志げ子は、「書けません。」と返答した。杉浦はそれ以上確認書の提出を求めなかった。

(七)  杉浦は、本件各帳簿を預かり、一たん原告宅を出たが再び原告宅に戻り、志げ子に対し、「預金通帳の番号を控えてくるのを忘れていたので、預金通帳を見せて欲しい。」と頼んだ。志げ子は、これを断ることなく、杉浦を原告の机のある部屋に案内し、杉浦は預金通帳の番号を控えて帰った。

三志げ子の質問検査権行使の対象者該当性の検討

1 所得税法二三四条一項一号所定の税務職員の質問検査権行使の相手方は、納税義務者本人のみでなく、その業務に従事する家族、従業員等をも包含すると解される。このことは、同号所定の質問検査権行使の相手方を法文の文言どおりに厳格に解し、納税義務者本人に限定すると、かえって、場合により当該業務の実態の正確な把握ができなくなるおそれを生じ、質問検査の実効性が失われる結果を招来することにもなるし、また、右のようにこれを広く解しても、別段納税義務者本人に不利益を課することになるものでもない(最判昭和五八・三・一一税務訴訟資料一二九号四七九頁参照)。

そこで、次に志げ子が業務に従事する家族に該当するか否かを検討する。

2 <証拠>、弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和五九年分ないし昭和六二年分の確定申告書に志げ子を事業専従者として記載し提出した。

(二) 原告は、昭和五九年分及び昭和六〇年分の収支内訳書の裏面の「給料賃金の内訳等」の志げ子の業務内容欄に「店番他一日八時間」及び従事期間欄に「一月〜一二月」と記載し提出した。

(三) 原告は、作業現場での志げ子の手伝いに対し、報酬を支払っており、その結果を売上帳に「手間代」欄を設け記載していた。

(四) 原告が事業に関して口座を設けている京都中央信用金庫二軒茶屋支店で、昭和六一年七月から昭和六二年一二月にかけて、主に志げ子が、原告の預金を出し入れしていた。

右認定事実によれば、志げ子は業務に従事する家族と認められ、杉浦が志げ子を質問検査権の対象者と扱ったことに違法はないというべきである。

四杉浦の質問検査権行使の違法性の検討

所得税法二三四条一項に基づく質問検査権は、行政調査であって、その質問検査に対しては相手方はこれを受忍すべき義務を一般的に負い、収税官吏の検査を正当な理由がなく拒む者に対し、同法二四二条八号所定の刑罰を加えることによって、その履行を間接的心理的に強制されているものであって、ただ、相手方においてあえて質問検査を受忍しない場合にはそれ以上直接的物理的に右義務の履行を強制しえないという関係にあることをもって「任意調査」と表現されているだけであり、質問検査の範囲、方法、程度、時期、場所など実定法に特段の定めがない実施の細目については、質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量との社会通念上相当な限度にとどまるかぎり、権限ある税務職員の合理的な選択にゆだねられているものであって、その検査の範囲、方法、程度が社会通念に反し、相手方の自由な意思を著しく拘束して、実質上、直接的物理的な強制と同視すべき程度に達しない限り、これを違法であるとはいえない(最判(大法廷)昭和四七・一一・二二刑集二一巻九号五五四頁参照、最決昭和四八・七・一〇刑集二七巻七号一二〇五頁参照)。そこで、以下杉浦の質問検査権行使の違法性について、検討する。

1 杉浦の本件調査の目的の正当性について

前記認定事実によれば、杉浦は、原告宅に原告の所得金額が正しいか否かを確認するために訪れたものであって、杉浦の本件調査の目的には、正当性が認められる。

2 質問検査権行使の方法の相当性について

証人尾崎志げ子は、本件質問検査に際して「なにと答えても、次々といろんな質問をされましたし、だんだん追い詰められて行くような気持ちに思っていた。」こと、そのような状態で、前認定二2(四)のとおり、杉浦から、「ちょっと机を見せて下さい。」といわれて、こういえばやめるかなと思って「主人が留守ですし、今日でなかったらあかんのですか。」と言ったものの、杉浦から大きな声でしかも強い調子で「今日でなかったらあきまへんな。」といわれて萎縮し、その後の調査の進行を拒めなかったこと等を証言し、原告は本件質問検査が強制的になされており違法であると主張する。

しかし、前認定二2の各事実、弁論の全趣旨に照らすと、「今日でなかったらあかんのですか」という言葉は、志げ子の内心は別として、客観的に明確な拒絶の意思表示とは認められないものであるところ、志げ子は、後に杉浦から確認書の記載を要求された際には、「書けません」と明確に拒絶の意思表示と考えられる言葉を発していること、杉浦が大きな声で強い調子の発言をしたのは、一回であり、杉浦はその前後を通じて志げ子に普通の調子で質問していること及び杉浦は、調査に協力しないと不利益になるとか処罰されるとかの脅迫的言辞をろうしておらず、その質問内容も通常の質問検査に伴う範囲内のものであることが認められること、さらに証人尾崎志げ子の証言によれば、志げ子は、杉浦の質問に対し、都合の悪い時は黙っていたのであって、志げ子が杉浦の質問に対し時宜に即して応答していたことが認められること、志げ子は、杉浦が原告の机を検査する前に特に反対しておらず、杉浦が原告の机及びその周辺を検査している最中においても杉浦の前に座って見ているだけで、杉浦が本件各帳簿を検査することに対し、異議を述べていないこと、杉浦が本件各帳簿を持ち帰ったことについても、杉浦が「これ預かって帰ります」と志げ子にはっきりいって預かり証を作成し、右預かり証も一〇畳間の机の真中付近に置いていること、志げ子は、持って帰られてもしょうがないと思い、これに対し何ら異議を述べなかったことが認められるのであって、これらの事実と弁論の全趣旨を総合すると、志げ子が、その内心においていささか間接的心理的な負担を感じていたことは認められるが、右杉浦の質問、検査の範囲、方法、程度が相手方である同女の自由な意思を著しく拘束して、これが実質上直接的物理的強制と同視し得る程度に達していたとは到底認めることができず、志げ子が以上の質問検査につき黙示の承諾を与えていたものというほかなく、杉浦も同女の承諾を得たものと信じて以上の質問検査を実施したもので、本件調査は質問検査権の行使として、社会通念上相当な範囲にあるものと認められる。

3 したがって、杉浦の本件調査は、適法であって、これが違法であるとは認められない。

五よって、原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官吉川義春 裁判官菅英昇 裁判官岡田治)

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